フランケンウィーニー:プロダクション

1984/12/14

首尾よくディズニープロダクションのチーフ、リチャード・バーガーに自身のストーリーボードの売り込みに成功し、バートンは「フランケンウィニー」を製作する絶好の機会を得る。彼はそれまで自身で脚本を書いていたが、今回は脚本家のレニー・リップスに一任する。 彼らのスケジュールは非常にタイトで計画の初期段階では、フランケンウィニーは1984年の前半に撮影され、その夏の「ジャングルブック」の再公開と同時上映される予定だっが、計画は変更され夏の後半に撮影スケジュールが組まれることになった。これには「フランケンウィニー」をクリスマスに公開される「ピノキオ」の再公開と同時上映することを意図していました。 当時のバートンの発言から判断する限り、彼はこの計画変更を喜んでいるようで、バートン曰く「ピノキオは私の、そしてジュリーヒックスのお気に入りのディズニー映画だ……今まで作られた優れたカラー映画のひとつだ。光栄だね」 だが、彼らの反応とは逆にプロダクションの状況は悪化傾向にあり、撮影スケジュールの変更によって、30分番組を2週間で撮り終えなければならないことを意味していた。ヒクソンは、非常に慌ただしかった当時を思い出す。「ディズニーはプロダクションのコストダウンを狙っていたんだ。スタジオの予算は莫大に超過していたからね。(「フランケンウィニー」の)15日間で撮影して、ポストプロダクションには2ヶ月掛けたんだ。」「私たちは『ピノキオ』との同時上映されることを喜んでいました。この組み合わせは素晴らしい。この二つの話は両方とも根源的な話で、私たちのはお伽話だった。」 このような中においても、バートンはプロダクション全体に満足しているようで、「私のデザインから作るように依頼したものを見たとき、その仕事は他のスタジオでは実現できなかったね。それはまるでディズニーランドみたいだった。ディズニーランドには確かな才能が存在しているし、それは本当に別世界だよ」 プロダクションの間、一際、バートンとヒクソンを非常に喜ばせたのは、ケネス・ストリックフォーデンがデザインしたオリジナルの「フランケンシュタイン」の研究室のセットを入手したことだった。それは何十年も倉庫に眠っていて、ほんの十年前に発掘されて、メル・ブルックスの「ヤングフランケンシュタイン」で使用されていたものだった。バートンたちは、それを若いビクターの研究室のセットに組み込むことで、彼ら崇拝する映画のエッセンスを「フランケンウィニー」に注ぎ込んだ。 ヒクソンは、このことについて「私達の、“それらを欲しい”という思いには、まったく迷いはなかったけど、それを入手することは非常に難しかったね」と回想する。だが、ディズニーの経営陣は彼ら2人のホラーファンが、なぜそれほどまでに、それらのセットを欲しがったのか、彼らが最終的に完成した映画を見て納得するまで理解に苦しんだ。後にバートンは、このことに対して「はじめてそれを見たとき、夢がかなったみたいだったね」と語っている。

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