ピーウィーの大冒険:ネタ元

1985/08/09

ピーウィー・ハーマンは1978年に『グランドリングス(GROUNDLINGS)』で生み出された。この『グランドリングス(GROUNDLINGS)』は1972年に設立されたロサンジェルスのコメディーの即興グループだ。(当時はTHE GARY AUSTIN WORKSHOPという名前だった)このグループの卒業生にはピーウィーの共同ライターであり『シンプソンズ(SIMPSONS)』 の声優をしているフィル・ハーマンや女優リサ・クードロウ、ジョン・ロヴィッツや他に何人かの『サタデーナイトライブ(SATURDAY NIGHT LIVE)』 のスターたちがいる。グランドリングスは即興のスキルを身につけるための最高の場所のひとつであり、学校と同じようなシステムがとられ運があれば卒業までのレベルに達することができる。即興に主眼を置いてはいるが、執筆の技術も指導していて、メンバーそれぞれに他の役者の性格についてのスケッチを書かせた。このことによりフィル・ハーマンは映画を書くころには、ピーウィーの登場人物たちのことを生みの親と同じくらい熟知するようになったのだ。ピーウィー・ハーマン が子供のような大人にしたことはポール・ルーベンスその人が作ったいくつもの漫画キャラクターのうちもっとも輝かしい成功であった。ニューヨーク出身のこの人は1978年に団体に加入し、それは長い間住んでいたフロリダから南カリフォルニアに移り、カリフォルニア美術学校で演技を勉強した後のことだった。(バートンもここで学んだが二人は一度も会ったことがなかった)ルーベンスはあるときこう訴えた「僕がスイッチを入れたらキャラクターが出てきてしまったようなものなんだ」と、そしてもっとましな話を生み出さなかったことを謝った。彼はまたネーミングについても詳しく説明した、彼が持っていたハーモニカのブランド名とフロリダでともに育った「変な子」の名字を継ぎ合わせたものだ、と。ルーベンスもまたピークスキルのニューヨーク州で生まれた。ルーベンスはキャラクターの独特な鼻声を、奥地にあるSARASOTA演劇技術会社にいたころの青少年共同住宅で考え出した。初めはピーウィーを質の悪い漫画として、他の人に「あの男はどうしようもない」と言い捨てられるように思っていたにもかかわらず、視聴者はキャラクターにあまりにも反応を示していたのでルーベンスはピーウィーの役どころを広げることにしたのだ。
ルーベンスは1980年に『サタデーナイトライブ』の上演会社に加わることをやめていった。このシリーズは一年目のキャストを誰も残さず、ルーベンスはその中でレギュラーの役割のオーディションに受かっていた。ギルバート・ゴットフライドに明け渡した後で、彼は心配し始めた。ブレイクする機会を逃したと思い込み、親にお金を借りてロキシーシアター(ROXY THEATRE)でサンセットストリップ(SUNSET STRIP)として一人で芝居をした。かくしてピーウィー・ハーマン ショーは生まれた、50-60年代の子供向け番組のカラフルなパロディーとして。大人を対象とした内容で、セクシャルな暗示に満ちており、キャバクラで5ヶ月放送された後HBOチャンネルというケーブルテレビにより特番として放送された。この放映はキャラクターを国民的関心の中へと送り出し、ルーベンスが『LATE NIGHT WITH DAVID LETTERMAN』で何回か登場して成功を収めていたことが有利に働いたのだった。
この頃にはルーベンスは事実的にピーウィー・ハーマン となり、そのキャラクター以外で公に出ることはなかった。「ピーウィー・ハーマンには僕に似通った点がたくさんあった」とルーベンスは説明している。「おかしなことだが、僕は本当にあのGYPSYのミュージカルのナンバー(YOU GOTTA HAVE A GIMMICK)を考えていたんだ。三人のストリッパーが歌を歌っていて、僕は、、、思った『GIMMICK?そうだ、いいじゃないか』と。」ティムバートンはもう少したってからルーベンスの人生について説明しているがこう要約した「ピーウィーは限りなく現実の場所から来ている。彼は狂っているが同じくらい本物も狂っているんだ。もし誰かが一日24時間ピーウィーをやったとしたらその人は死んでしまうだろうよ。ポール・ルーベンス はまだ生きているんだ。」

ピーウィーは彼の家の中で鉄の棒を滑り降りその途中で服が変わるが、それは明確に1960年代バットマン シリーズを模したものである。「MOVIE WITHIN THE MOVIE」の中のピーウィーのホテルマンとしての登場は、ピーウィーの大画面初登場である「CHEECH&CHONG‘s NEXT MOVIE」と、ジェリー・ルイス(この人の評価はルーベンスのそれと比べられることが多い)もベルボーイとして使われている「THE BELLBOY」の二つを参考にしたものだ。フランシスが大きなバスタブにておもちゃの船で遊ぶ場面はゴジラを模倣していて、後にスタジオの追いかけっこの場面で登場することになる。ピーウィー のバイクが盗まれた後のクローズアップの場面はヒッチコックをも超えるタッチで描かれている。効果を高めるかのように、エルフマンの音楽は突然すべてバーナード・ハーマンに切り替わる(ヒッチコックのレギュラーの作曲家)。その後でピーウィーがアラモを出るとさらに多くのヒッチコックの作品の寄せ集めが見受けられる。ハーマンの苦しそうな表情と姿勢は『VERTIGO』のいくつかの瞬間を強く思い起こさせる。バートンはDVDのコメントで、自転車レースの音楽は『CHARIOTS OF FIRE』に共鳴していると述べている。

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