リチャード・D・ザナック

リチャード・D・ザナック

名実共に素晴らしいキャリアを築き上げ、映画業界内で最も優れたリーダーのほとりとして名声を得ている。
プロデューサーとしても元社長としても卓越した才能を発揮し、40年以上の映画人生で数々の賞を受賞。特に1991年、長年の相棒デイビット・ブラウンと共に受賞した映像芸術科学アカデミーのアービング・G・サルバーグ記念賞は、最も栄誉ある賞であり、築き上げた名声に相応しい偉大な賞といえる。この輝かしい栄誉は"上質な映画制作をつつけたことにより一連の作品を生み出したクリエイティブなプロデューサー"に与えられる賞であり、アカデミーの歴史上わずか36回しか送られていない。また、同じく栄誉ある賞であるタルバーグ賞は、父親のダリル・F・ザナックも受賞しており、歴代で唯一の親子2代受賞となった。

そのわずか1年後には「ドライビングMissデイジー」(89)が1989年度米アカデミー賞作品賞に輝き、リリ・フィニー・ザナックと共に製作者として、オスカーを手にした。本作品では、ゴールデングローブ賞/全米映画批評会議賞/全米映画製作組合プロデューサー・オブ・ザ・イヤーも受賞。「ドライビングMissデイジー」の受賞により、ザナック父子の米アカデミー賞作品賞を2代で受賞した唯一の親子となり、映画業界に新たな歴史を刻んだ。

自身の製作会社ザナック・カンパニーの社長として、パートナーである妻リリと共に、確固たる地位を築き、更なる活躍を続けている。スタンフォード大学を卒業し、陸軍中尉として軍隊経験をしたのち、父の製作アシスタントとして、20世紀フォックスの「日のあたる教室」「陽はまた登る」(共に57)の2作品に参加。24歳のとき「脅迫 ロープ殺人事件」(59・未)でプロデューサーとして、本格デビュー。この作品により、オーソン・ウェルズ、ディーンストックウェル、ブラッドフォード・デイルマンがカンヌ国際映画祭アンサンブル演技部門最優秀男優賞を受賞・そののち、ウィリアム。フォークナーの小説を映画化した「サンクチュアリ」(61・未)、「チャップマン報告(レポート)」(62)を手がけた。

28歳のとき、20世紀フォックス製作部門のトップに就任し、ハリウッド史上最年少のトップとなった。在職8年の間に、20世紀フォックスは再び最盛期を向かえ、米アカデミー賞ノミネート159回という前例のない記録を樹立。その中で「サウンド・オブ・ミュージック」(64)、「パットン大戦車軍団」(70)、「フレンチコネクション」(71)の3作品が米アカデミー賞作品賞を獲得した。ほかに「猿の惑星」シリーズ、「明日に向かって撃て!」(69)、「M★A★S★H マッシュ」(70)などでも成功を収めている。

その後フォックスから移籍し、ワーナー・ブラザーズの副社長となる。ここでのちのパートナーになるデイビッド・ブラウンと共に、「エクソシスト」(73)、「ブレージングサドル」(74)などのヒット作品を送り出した。

1971年にはザナック/ブラウンプロダクションを設立。映画業界で群を抜いて成功している制作会社となっている。15年間にザナック/ブラウンプロダクションは、米アカデミー賞作品賞ほか7部門を制覇した「スティング」(73)、カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞したスティーブン・スピルバーグ初監督作品「続・激突! カージャック」(74)、米アカデミー賞3部門を受賞し、作品賞にもノミネートされた「JAWS ジョーズ」(75)、「JAWS ジョーズ2」(78)、米アカデミー賞に2部門で受賞した「コクーン」(85)、その続編「コクーン2 遥かなる地球」(88)を製作した。

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